私は長い間に亘り、合気道と柔道を並行して修行して来ましたが、時々自分でも思わず笑い出してしまうような事もありました。
合気道の稽古に柔道のような試合形式の乱取り(空手で言えば自由組手)はありません。
相手が技を仕掛ける為に崩して来れば、逆らわず、素直に相手の動きに合わせて、相手が技を掛けやすい体勢になってやるのが一つの約束事です。
こうして均衡(バランス)の崩れた状態の人間が、いかにもろいか?バランスを崩しさえすれば、どんなに綺麗に相手を投げられるか?を「受け」(投げられる側)「取り」(投げる側)ともに互いに学ぶのです。
これは柔道の「形」と同じ理合(りあい)です。
…で、ある時の柔道の試合の話です。私は合気道の稽古の習慣で、つい柔道の試合に於いては防ぐべき相手の崩しを我知らず受け入れてしまい、自ら重心を浮かせた為に、ものゝ見事に投げ飛ばされてしまいました。
観戦していた仲間達は『おいおい!わざわざ派手な「受け身」を皆んなに見せる為に試合に出たのかい?』と、呆れはてられ、私は罵られ、皮肉られる始末。
私自身も大事な試合に負けた事を一瞬忘れ、苦笑いを通り越して大笑いでした。
しかし、これは合気道の技でも同じです。何も「受け」が〝飛び受け身〟等と称して、自分から跳び上がったりしなくても、相手がバランスを崩したところにタイミングが合えば、ものゝ見事に技は極ります。これこそ、まさに「合気」です。
これは私の体験談(失敗談(笑)ですが、大切な事ですから、皆さんも心に止め置いて下さい。

〝合わせる〟と云う事
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